製品はじめて物語<エバール>
バリアー市場に革命を起こす
クラレが世界に先駆けて開発した高機能性樹脂<エバール>は、1957(昭和32)年にポバールの改質を目指して本格的な基礎研究を開始して以来、15年の歳月をかけて開発されました。あらゆる樹脂の中で最も優れたガスバリアー性(酸素等のガスを通さない性質)を持ち、内容物の変質・劣化を防ぐ性質から、マヨネーズやケチャップの容器、かつお削りぶしや味噌などの食品包装材として市場を席巻。さらに、人工腎臓や自動車燃料タンクなどその用途も無限の広がりをみせており、<エバール>は現代生活に不可欠な存在となっています。
ポバールの改質が原点
1950年代後半、日本では、高度経済成長の始まりを背景としてスーパーマーケットの普及が急速に進みました。これに伴い、ポリエチレンや塩化ビニル樹脂といったプラスチック素材が脚光を浴びる一方、軽量で長期保存可能な食品包材に対するニーズが高まりつつありました。こうしたなか、当社は57年、「(ポバールの原料である)酢酸ビニル(*1)からプラスチックへの誘導」という研究テーマに、本格的に着手します。
ポバールの改質によるプラスチック化には、まずその最大の特徴である親水性を低減する必要がありました。研究開発陣が、あらゆるモノマー(*2)を共重合(*3)の相手に選んでデータ解析を繰り返したところ、エチレンに限って好結果が得られました。モノマーの選択によっては、ポリマーの結晶性が崩れ、プラスチックとしては使い物にならなくなりますが、エチレン共重合体のみ全領域で結晶性を持つ珍しいポリマーであることを見出したのです。
エチレン共重合体はクセが強く、値段も高かったことから、この時点ではプラスチックとしての用途が開けるかどうかは不明でした。しかし研究を続けるうちに、偶然の要素も加わり、やがて大発見へとつながりました。
これが、極めて高度なガスバリアー性です。ポバールは湿度が上がるとガスバリアー性が低下しますが、エチレンを共重合して親水性を抑制した結果、ポバールでは不可能だった通常の湿度下で高いバリアー性を維持することができました。EVOH(エチレン-ビニルアルコール共重合体)、後に<エバール>と命名される高機能性樹脂が誕生した瞬間でした。
事業化を阻む壁
1964年、当社は食品包材としてのEVOHの事業化に向けて、大手容器加工メーカーとの共同開発をスタートさせます。
難題としてまず立ちはだかったのが、ガス透過性データの精度でした。当初はEVOHフィルムで作った袋で包装した味噌の表面変色の評価に次いで窒素ガスを封入した袋内の酸素濃度の変化を測定する方法も検討しましたが、これも精度的に限界があります。このため、大学の研究グループの協力を得ながら手作りでガラス製測定器を苦労して作製し、約2年間にわたる測定を行った結果、EVOHフィルムの優れたガスバリアー性を立証するに至りました。66年3月、この実験結果をもとに、その後に極めて重要な役割を果たすこととなる食品包装用途の基本特許を出願し、工業化に向けた取り組みを始めることになります。
しかし、特許を取得したにもかかわらず、量産化技術に関する研究開発は、多額の投資を要することもあり、社内では常に「中断か継続か」という議論の対象とされました。その過程において、スタート時に約30名いた研究開発メンバーの数は大幅に減り、一時はフィルムの用途開発に至っては2名だけになったこともありました。
こうしたなか67年、社長の大原總一郎がひとつの指針を出します。「止めるのは簡単ですが、将来の企業体系を考慮し、止めさせるのは1年先でよい。十分に検討しなさい」
この決断が、研究開発陣の背中を大きく押すことになります。わずか1年後の68年、EVOHフィルム商品化の目処が立ち、翌69年には日産200kgの本格的試験プラントが完成します。同時にEVOHの商標名が<エバール>に決定しました。
そして、研究開発陣の努力の積み重ねにより、当社が<エバール>の工業化にたどり着いたのは72年、基礎研究を開始してから実に15年後のことでした。
2つの"幸運"
大きな可能性を持つ食品包材として市場に送り込まれた<エバール>は、プラスチックの黎明期という時代性とも相まって大きな注目を集めます。高度なガスバリアー性に加え、可塑剤や安定剤等の添加物を含まないため安全性が高く、環境にもやさしいことが評価されたのでした。さらに、当時プラスチックボトルとして普及しつつあった他素材に比べ、より食品用に適しているとされたことも、<エバール>への期待に拍車をかけました。
<エバール>は、ポリエチレンやポリプロピレンなどとの複合によって、かつお削りぶし、味噌など保存食品の包装用フィルムとして、またマヨネーズ、ケチャップ、醤油、ソース、食用油などの食品や薬品の容器として、急速に販路を広げていきました。さらに、中空糸(*4)を用いた人工腎臓の開発に成功するなど、<エバール>はメディカル用途への道も切り拓きました。
成功の背景には、2つの幸運がありました。ひとつは、<エバール>は200~220℃で溶融成形ができたということです。これはポバールの融点(*5)が240℃で熱分解点と近接しているのに比べ、<エバール>の融点は熱分解に対して60℃ほど低く、安価な加工が可能である点で大きなメリットと言えました。
もうひとつの幸運は、共押出し(*6)という加工技術の革新です。従来はユーザーがフィルムをラミネート加工しなければなりませんでしたが、共押出し技術の開発でその手間が省けました。このことが、<エバール>の需要を大幅に高める結果をもたらしました。
世界に広がる<エバール>
<エバール>は、当社にとって、重要な収益源のひとつとして成長する一方で、グローバル化を先導する役割も果たしました。
米国への本格輸出は1982年にスタートしましたが、<エバール>の名はすぐに全米に知れわたり、需要が急増しました。このため、翌83年には現地生産を前提として、米国に合弁会社エバールカンパニー・オブ・アメリカを設立。同社は86年12月、ヒューストンで現地生産を開始します。その際、年間販売量がまだ約1,000tにすぎない時期に、将来の高成長を予測して年産1万tの大規模プラントの建設を決断しました。
この判断が、米国における厖大な食品容器市場に革命を起こすことになります。また、欧州でも時期の差こそあれ、米国と同様の展開を図りました。その結果、日米欧の三極体制が整備されることになり、グローバルな視点に立った市場対応力がより一層強化されました。
一方、<エバール>の発展の歴史は、環境問題への対応の歴史とも重なります。PVC(*7)残存モノマー問題(73年:日本)、酸性雨問題を背景としたPVDC(*8)・PVC代替の動き(80年:欧州)、大気浄化法改正(90年:米国)やCARB(カリフォルニア大気資源委員会)規制(95年:米国)など、様々な環境問題が各地で浮上するたびに、<エバール>が代替素材としてその解消に大きく貢献してきたのです。
とりわけ、92年にスタートした自動車燃料タンク(PFT)の開発は、世界に大きな衝撃を与えました。<エバール>を採用したこのプラスチック製ガソリンタンクは、高度のバリアー性によりガソリン揮発を防止するとともに、自動車の軽量化への貢献も期待されました。PFTは2年後に米国で初めて実用化され、新規大型市場を開拓することに成功しました。
当社はその後も、PFTを含むバリアー市場における旺盛な需要増に対応して、米国での生産能力増強(97年)に加え、欧州でも環境に配慮した最新生産設備の増強(2004年)を図るなど、<エバール>の適地生産・適地販売という基本戦略を徹底して推進しています。
世界のマーケットには、気体やガソリンの揮発だけでなく、におい、熱、汚れ、光線など多種多様なものに対するバリアーニーズが存在します。当社は<エバール>を通じて、こうしたバリアーニーズに対応できる技術を提供し、世界のバリアー素材をリードし続けることを目指します。
- *1 エチレンと酢酸を原料として製造される有機化合物。他の化学物質をつくる原料として使用されている化学物質。酢酸ビニルからつくられた化学物質は、ビニロン繊維、接着剤、洗濯糊、人工芝、木工用ボンド、チューインガムなどの様々な製品の原料になります。
- *2 モノマーとは、重合を行う際の基質のこと。高分子のことをポリマー(ポリは「たくさん」の意)と呼ぶのに対して、一を表す接頭語であるモノからモノマーと呼びます。
- *3 重合とは、1種類のモノマーが、その基本構造(原子配列)を変えずに、2個以上が化学結合して分子量の大きな化合物をつくる反応のことです。共重合は、2種類以上のモノマーを用いて行うこと。
- *4 中心部が空洞の繊維。衣服の素材のほか、中に液体を通し、不純物のろ過にも用いられます。
- *5 固体が融解し、液体化する温度のこと。
- *6 異種の樹脂を平行した2つ以上のスリットから共に押し出し、溶融状態で積層、製膜まで一気に行うフィルムの加工法。
- *7 ポリ塩化ビニル。
- *8 ポリ塩化ビニリデン。
(2006年制作)